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寛永11年(1634年)から続く鎮西大社諏訪神社の秋季大祭
モッテコーイ 長崎くんち

諏訪神社(長坂)
​諏 訪 神 社(長坂)
「長崎くんち」龍踊り
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​長崎くんち お上り
太鼓山(コッコデショ)

「長崎くんち」とは

​ 「長崎くんち」は長崎の氏神「諏訪神社」の秋季大祭で、毎年10月7日から9日までの3日間催され、国の重要無形民俗文化財に指定されています。この3日間は、異国の薫りと平和への願いを感じる港町長崎が「長崎くんち」の熱狂に包まれます。

 長崎くんちの歴史は1634年(寛永11年)、遊女の高尾と音羽の両人が諏訪神社の神前に謡曲「小舞」を奉納したことが「長崎くんち」の始まりと言われています。その後、長崎奉行の保護のもと、年々盛んになり、長崎を訪れた外国人らにより「絢爛豪華な祭礼」として海外へ紹介されるほどの評判になりました。

「長崎くんち」行事

6月1日  小屋入
 踊町の世話役や出演者が、諏訪・八坂の両神社神前で清祓を受け大役の無事達成を祈願します。この日から 演し物の稽古に入ります。昔は小屋を建て、身を清めて稽古に専念したことから、小屋入りと言われました。
       打込み
 小屋入りのあとに、くんち関係者のもとに各踊町は挨拶にまわります。


10月3日  庭見世(にわみせ)
 表通りに面した店舗などに、傘鉾をはじめ演し物の曳物や衣装、小道具、楽器などを分散して飾るほか、出演者に贈られたお祝い品を所狭しと並べてご披露します。


10月4日  人数揃い(にいぞろい)
 演し物の稽古が仕上がり、準備が整ったことを踊町関係者に本番と同様の衣装で、町内数か所でご披露します。
 

10月7日(前日)  お下り(午後1時)
 諏訪神社の本宮からお旅所の仮宮まで、諏訪・住吉・森崎の三基の御神輿が下ります。御神輿を担ぐのは神輿守町(みこしもりちょう)と呼ばれる旧長崎村の各郷の人たちです。
 

10月7~9日(中日) 庭先回り(にわさきまわり)
 諏訪神社など所定の場所で踊りを済ませた後、各踊町は庭先回りに移ります。
 市内中心部の事業所や官公庁、民家などに敬意を表して踊りを呈上することで福をお裾分けし、お祝いするという趣旨のもので、踊町は短い踊りやお囃子を玄関先や店先、門前等の路上で演じます。


10月9日(後日)  お上り(午後1時)
 お旅所の仮宮から諏訪神社の本宮へ、三基の御神輿がもどります。県庁坂や諏訪神社の石段を一気に駆け上がるその姿は迫力があります。​​

神輿 お上り

令和6年 7ヵ町が出演します

令和6年 7ヵ町出演

左より前日の踊り順番に記載しています。中日・後日は順番が変更になります。

長崎くんち 「庭見世・庭見せ」とは

 本番は10月7日から9日の3日間ですが、準備には約1年を要し、稽古始めは6月1日の「小屋入り」を境に、秋の本番に向け厳しい練習が始まります。

 昔、長崎の町屋は間口が狭く奥に細長い構造になっており、奥間に中庭がありました。
 本番直前の10月3日夕刻より、踊りを奉納する各踊町の家では、表格子を外し、戸外から奥庭まで見えるようにし、座敷の正面に衣装や小道具、親戚や友人から贈られた御花、秘蔵の掛軸・屏風などを公開して道行く人に見せていました。
 最近は庭見せの飾り付けをできる旧家が減ったため公園、公民館などの広い場所で傘鉾をはじめ演し物の曳物や衣装、小道具、楽器を分散して飾るようになりました。

 出演者に贈られたお祝品が所狭しと並べられ披露されます。これを間近でじっくり見ることができるとあって「庭見せ」は多くの人で賑わいます。

​長崎くんち 「掛け声」

       長崎くんち」で観客が掛ける掛け声には、独特の約束があります。

モッテコーイ

 一度踊り場を退場した曳き物などの演し物を呼び戻す時などに、アンコールの意味で使われる掛け声です。観客は「モッテコーイ、モッテコイ」を連呼します。

ショモーヤレ

 本踊が終わりアンコールをする時の掛け声です。「所望するからもう一度お願いします」という意味です。

フトーマワレ

 傘鉾が回るときに「大きな輪を描いて、雄大に回って見せてください」という意味で、長崎の方言で大きいことを太いと言いますから、「太くー回れ・フトーマワレ」と言っています。

ヨイヤァ

 川船の網打ち船頭が投網を投げ、魚が見事網にかかった時とか、傘鉾が勇壮に回ったときなどに使います。「最高に決まった」という意味になります。

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